なぜ、土壁の平屋
と考えたのか

発掘された遺構を見ると、およそ60~90cm位の狭い間隔で、また不揃いな間隔で外壁の柱が並んでいます。この場合の外壁としては、茅壁などの植物、あるいは土壁が考えられます。原の辻からは、土壁材ではないかと思われる粘土の塊が発見されています。
また同時代の朝鮮半島の遺跡では、原の辻の円形建物と同じような平面形の建物跡が一般的であり、中には土壁の基部が残っているものもあります。
これらのことから、原の辻の建物は土壁であろうと考えました。

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